今日も母の言葉に生かされている

「人生には目標が必要なんです。あなたはご自分の人生をどうしたいと思ってらっしゃるんですか?

先日、仕事に関する相談をさせて頂いた方に、そう問われて「人間として無理のない生活リズムを保ちつつ、マトモに生計を立てられる生活をするのが第一ですね」と反射的に答えてしまったのですが🤣、よく思い返せば『仕事』じゃなくて『人生』って聞かれてるじゃんね。だったらもっと別の答えがあったわ。
ということで、ここに残しておきます。

私には人生の終わり方の目標があるのです。(質問者の本意じゃない答えだろうけど)

それは「色んなことがあったけど、悪くない。楽しかった。こんな人生ならもう一度やってもいい」と思ってこの世を去ること。

先日、「「貴方は望まれてうまれてきたんだよ」と言う言葉が性教育の場などで使われているが、それに傷つく子もいるのだから、安易にそういった言葉を使うべきではない。」といったような趣旨のツイートが私のタイムラインに流れてきました。

そうして思い出したのが、子供の頃から母に聞かされた言葉。

  • 「私はあなたの『母親』だけれど、あなたを神様からの預かりものだと思っている」
  • 「あなたはね、ううん。本当は皆、望んで生まれてきてるの。色んな経験をしたいって神様にお願いして、そして、神様が「いいよ」と言ってくれたからここに遊びに来たの。」
  • 「そんなあなたのお母さんになりたいと願ったから、私のところにきてくれたのよ。有難う」
  • 「あなたはこの世界で十分に遊べた?楽しかった? 楽しかったっていう話をたくさん持っていった方が、神様もきっと喜んでくれるだろうし、お母さんも嬉しい。これからたくさん楽しいことあるかもしれないのに、『次』はいつ来れるかわからないのに、『辛い』を抱えて帰っちゃうの?」(死にたいと零した時)

    母の世界には当たり前に「神様」がいて、そんな母に育てられた私にも輪廻転生とかそういう世界観も(宗教宗派ごっちゃで)物心つくか否か、という頃からずっとありました。(ちなみに父にはなかった。多分)

死にたくて仕方がなかったはずなのに、『遊びたくてきてるのに、楽しんでないのに終わらせるのは嫌だな。』と思ったものです。我ながらゲンキン🤣

初めて自死願望を口にして母親に泣きついてから(←実行しなかっただけまだマシかもしれないけど、かなりの親不孝発言。マリアナ海溝より深く反省してる)、早四半世紀は経っているのですが、未だに何もかも嫌になって(命さえも)投げ出したくなる時、それを思い留めさせてくれるのは母の言葉。
一体何度、母の言葉たちに命を救われていることでしょう。

別の世代の方たちに比べると、ハードモードとしか表せないような月日を送ってきている率の高い某世代ですが、私自身は思い返せば無駄ではなかったことばかりだと思えるようになり、とうとう「イージーモードに変更したれ!」と決め直しました。
とはいえ、まだまだ移行期間中らしく、時々「なんだこの無理ゲー…」とぼやきの虫が騒ぎますが、その度に決め直すことが出来るようになり、お陰でだいぶ生きやすくなりました。
このまま『いつかのその日』を笑って迎えられるように、『今生』という遊び場を思いっきり楽しみます。


後何回お祝い出来るのか分からないけれど、存分にに今生を楽しんでいる姿を出来るだけ多く母に見せられるよう、母にも楽しんでもらえるよう精進します。そんなことを思った母の○○回目の誕生日の夜。

タイトルとURLをコピーしました