「『本当のあなた』が望んでいることをしてください。」
気掛かりも欠点も制約も、いったん脇に置いて。
もはやこの界隈(どの界隈?/笑)では、鉄板フレーズですよね。
私にとっては耳タコ鈴なりになってしまうくらい、よく見聞きするフレーズです。
ともすれば、耳に生まれたタコは成人式を終えてお酒が飲めるくらいかもしれません(笑)
(あくまで“感覚”の話ですけどね。)
でも。
「でもさー」
「だってさー」
「そんな無責任なこと言われても…」
耳に生まれたタコと同じくらい、こう呟く声もずっと一緒にいたのです。
“デモデモダッテちゃん”は、いつもそばにいた
私が子どもの頃放送していた『こんなこいるかな?』という教育番組には、
「やだもん」や「ぽいっと」など、個性的なキャラがたくさん登場していました。
「やだもん」は、何を言われても「やーだもん」と拒否します。
「ぽいっと」は、なんでもかんでも「ポイっ」と投げちゃう。
幼児あるあるですね。
その作品中には存在していないけれど、私の心の中には確かに存在している子が何人かいます。
そのうちの一人が、“デモデモダッテ”です。

「でも…」って言い訳して
「だって…」って立ち止まって
結局なにも動けなくて、自己嫌悪ループへまっしぐら。
いやいや。とりあえずやってみようよ?!(笑)
キャラは“排除”するものじゃない
「幼児あるあるですね」なんて(上では)エラそうに言ってますけど、
私の中にはいまだに「やだもん」も「ぽいっと」もいます。
なんなら「くいしんぼうの“もぐもぐ”」なんて大の仲良しです(大笑)
でもね、「やだもん」がいても、ちゃんとできる日もあった。
「ぽいっと」がいても、ゴミの日にはゴミ出ししているし、なんなら集積所の掃除だってしてるんです。
できてるじゃん、私。
だから、「デモデモダッテ」がいたっていいんです。
問題なのは、その声を無視することや、存在を否定することでした。
声を、聞いてみる
「そっかー、今そう思ってるんだね。」
「でも…なんで、そう思ったの?」
問いかけてみると、「デモデモダッテ」は、ずっと奥に隠している本当の気持ちを教えてくれます。
だいたいそこには「心配性のおかん」が、待ち構えているんですけどね(笑)
私たちの本音って、意外と繊細で慎重派です。
無視されたり、否定されたりするのは怖いし、痛いのは嫌だから、少しでも傷つく可能性がなることは回避したい、回避させたい。
ほら、心配性の母親みたい(笑)
だからこそ「心配性のおかん」は「デモデモダッテ」に先鋒を託すのです。
これって、母親に言われたら「うるさいなぁ!」って言いたくなることでも、歳の離れた弟妹(推定3〜4歳児)に「きをつけてね」って言われたら「うるさいなぁ!(怒)」って言えないようなアレです。
そして「私たち(顕在意識)」は、まんまと手段にハマって【本当の気持ち】をスルーするスキルを身につけてしまうのです。
自分の声を聞いてあげられるのは、自分だけ
とはいえ、【本当の声(気持ち)】って「デモデモダッテ」より幼くってパワフルなんです。推定年齢1〜2歳くらい。
だから使えるものはなんでも使う勢いでギャン泣きします。
腹式呼吸の容赦ない大音量の泣き声。
自分の存在に気づいて、望みを叶えてもらうためなら、夜中だろうがなんだろうが、お構いなしでギャン泣きです。そんな状態の声を聞いて、望みを満たしてあげられるのは、あなたしかいないんです。
誰かに代わってもらうことはできないし、誰かに答えを決めてもらっても、きっと満足できない。
だからこそ、自分の中にあるその声に、まずは「いるよね、わかるよ」と気づいてあげることが、なによりのスタートになるんじゃないかと思います。
私自身、このこたちの声と向き合っていく中で「本当はこうしたかったんだな」とか、「これが叶わなかったから、あんなに苦しかったんだな」と、少しずつ本心が見えてくるようになりました。
『本当の気持ち』を大切に
『本当の気持ち』はその人だけのもの。
探すお手伝いは出来ても、見つけられるのはご本人だけです。
常に自身の心や身体の状態に気を配ってあげてください。
だってあなたのココロの声も、カラダの声も真っ先に聞けるのは『あなた』しかいないから。
散々っぱら無視した挙句、医師から余命宣告を受けた私のようにはならないでください。
もしも方法につまづいたり、誰かのサポートが必要と感じたなら専門家に相談をしてみてください。
私も、そんな「思考のクセ」や「心の声」に気づくお手伝いをする1対1の対話セッションを行っています。
内観や引き寄せに興味がある方、「なぜこの現実なのか?」と感じる方へ。
一緒に“今のあなたの本当の気持ち”を見つけてみませんか?